ピュアな感性に触れることで、絵描きとして初心に戻れる

矢成光生
Yanari Art Lab 代表 / 画家 / 元特別支援学校教員

今の活動に至るまでの生い立ち、プロフィールを教えてください。

生まれは愛知県ですが、ほぼ千葉県で育ちました。
幼稚園に入る前から絵を描くことが大好きでした。当時、母が新聞販売店で働いていて、余ったチラシ(昔は裏が白紙のものが多かった)をたくさん貰ってきたので、その裏紙にいつも絵を描いていました。小学2年生の時に絵画教室に通い始め、油絵を初めて描いたり、竹橋の国立近代美術館に「佐伯祐三展」を観に行ったりしたのを覚えています。
小学3年生の時に、学校の写生大会で制作した「せんべい食い競走」の紙版画が県展で特別賞をとったのでご褒美に両親から油絵セット一式をプレゼントしてもらいました。その流れで地元の画家さんのアトリエに通うようになりました。今思うと、将来の方向性が決まる出来事だったかもしれません。また、高校時代の恩師が芸大の油画専攻卒だったことも、美大を目指すきっかけとなりました。

いまやっていること、とり組んでいることはどんなことでしょうか?

大学在籍時から個展やグループ展をしていました。卒後も美大受験予備校の講師なんかをやりながら作家活動をしていて。自分が浪人生(3浪しました)だった頃は、研究所とか作家養成所的な色が強く、自由度が高かったのですが、お受験になると、画用紙やキャンバスが答案用紙なんですね。確かにある意味そうですが、生徒達がさっきまで一生懸命描いていた作品をゴミ箱に捨ててしまったり、白い下地材で潰してしまったりするのを見た時はショックでした。ものの見方や感じ方ではなく、単に受験するためだけに「HOW TO」や「テクニック」を教えるような状況の中で「教育」に興味関心をもつようになりました。
その頃タイミングよく、教員や講師をやってる友達が周囲に何人もいたりして、教育の現場で働くことを決意しました。でも、学生時代に教職課程を履修していなかったので、出戻りで2年かけて教員免許を取り、年齢制限(現在はなくなった)ギリギリで採用試験を受けて就職し、14年間、東京都で特別支援学校の教員をしていました。
苦労してなったはずの教職ではありましたが、人生を逆算するようになると「やりたいこと」がさらに明確になってきたので、昨年度末に退職し、フリーランスになりました。
現在は、私立中学校や特別支援学校で非常勤講師をしたり学童でアートレッスンをしたりしています。「Yanari Art Lab」としてスポットで個人宅や事業所などでのレッスン、流木を使ったワークショップやオーダーメイドのプレート制作などもしています。「ものをつくる喜び」を共有できる仕事を展開していきたいです。また、年に数回ですが南相馬の「福興浜団」でも菜の花迷路や福興花火のボランティア活動をしています。
作家活動では、昨年「第21回岡本太郎現代芸術賞展」に入選しました。今年の3月には、金沢21世紀美術館で3.11をテーマにした作家らによる「もやい展」に参加したくさんのメディアで取り上げていただきました。画家として表現者として、アートの力を信じていろいろなことにチャレンジしていきたいですね。

第21回岡本太郎現代芸術賞展 入選作品
第21回岡本太郎現代芸術賞展 入選作品

特別支援学校での経験は、いまのarTeaTreaTの活動にも繋がってきますが、どんな経験だったんでしょうか?

特別支援学校では、知的や肢体にハンディキャップのある小学部低学年から高等部までの子どもたちと過ごしてきました。学校では、先生たちもチームでやっているし、主治医やケースワーカーさん、外部専門家の方たちとも連携しているんですが、学校では登校してから下校までの関わりで、12年経ったら社会人です。プライベートのところでは彼らはどうしているのかな、卒業した後はどうするんだろう、ということがだんだん考えるようになってきて。
図工や美術を教えていて、子どもたちの才能は素晴らしくて本当に天才だと感じることばかりでした。先生の方が教わることや気づかされることが多いという。(笑)大人がもっているつまらない常識とか制限が無い、意識を超越しているところがほんとうにすごいなと思う。絵で言うとたとえば、ディテールや色彩へのこだわりがすごかったり、次々と湧き出るタッチやフォルムやに感動したり。土器というテーマで陶芸の授業をしたとき、ある子が、粘土を紐状にして蓋をしてしまったことがありました。もちろん土器としては使えませんが、作品としての存在感がとても強かった。
ほんとうに巨匠のようだなと思うんですが(笑)、なぜかというと、彼らには迷いがないんですよ。無垢な状態で全身から表現しているものが作品に出ている。「こうしたら怒られるかな」とか「失敗したらどうしよう」といった感情が無くて、「わたしはこうなんだ」という表現に迷いがまったくない。強いんです。内気だったり、感覚過敏だったりする子も、短時間だけど観たり、触れたりする活動に真剣に向き合っていて、素材を通してコミュニケーションをとっている感じがしました。

そういう子たちに、「ダメ」と言わないように気をつけていましたね。彼らとの絵の時間をつくるにあたって意識していたのは、いい環境をつくるということ。活動にストレスを与えないように、余計な情報を与えないように壁を布で覆ったり、一定のスペースを確保するとか、制限なく紙を提供するとか、扱い易い粘土状態のとか、補助具を試行錯誤して作ったりとか、部屋の温度とか湿度に気を配ったりとか、「調子がイマイチなのは低気圧のせい?」と思ったり(気圧はコントロールできませんが)、とにかく彼らが活動しやすい環境をどうつくるか、ということは気をつけていました。要素が多いと迷ってしまうので活動はシンプルにして、子どもたちが見通しをもって主体的な活動ができるようにメリハリをつくったりしていました。
いい環境と素材を与えると、子どもたちは思うままにつくる。もしかしたら作品を作るという意識も無いかもしれないですけど、身体を使って絵の具のしぶきや塗りたくった活動の過程と軌跡が残る。それが力強く定着することが気持ちよくて、子どもたちと絵を描いている時間はほんとうに好きでしたね。
そこでの自分の役目は呼び水みたいなことで。
「ちょっとやってみようかな」というきっかけをつくってあげたり、麻痺のある子がいたら姿勢を安定させて、たとえば肘とか手元を保持して粗大運動や微細運動をしやすくしたり、目線が届くように素材を置いたり、活動しやすい環境をつくることを意識していました。
彼らから教えてもらったことがほんとうにたくさんあるんです。彼らといっしょにいることで、絵描きとしての自分の初心に帰らせてもらえた。ニュートラルというか凄くピュアな気持ちにしてもらえるんです。関わりの中でしか体験できないので、豊かな表現に触れられる、自分にとってかけがえの無い存在だなとリスペクトしています。

arTeaTreaTの活動を通して、どういう世界になっていったらいいと思いますか?

先ず、「自由な場」があること。「arT」「eaT」「treaT」を通して、子供も大人も楽しめるインクルーシブな環境づくりに努めていきたいです。テーマを設定するとどうしても問題解決に向けてのディスカッションとか意見交換とかストレスに感じることが多いと思います。意外と核心はメインの活動よりも行間にあったりしますので、障害の有無に関わらずどなたでも参加できるフラットな場にしたいですね。
行間、というのは、。人が集まって、そこにある動きや仕草、表情を汲み取れるような関係だったり、他愛のない会話だったり、そういうのが大事というか。声が大きい人だけが正しいわけではないし、そこが本流になるのも正しくない。「これ、やります!」「できました!」というのが大事なわけではなくて、同じ空間の中で、目があったり挨拶したり、いっしょにいるような時間が大事だなと。
そしてarTの活動では安全であれば基本的に「everything OK」で受容し、自己肯定感が得られればと思っています。

ありがとうございました!

パーソナルな質問

Q:あなたにとってarTeaTreaTな一曲は?
CHAI 『N.E.O』
 坂本龍一 『The Land Song』
 きゃりーぱみゅぱみゅ 『PONPONPON』
Q:あなたの必殺技・特技は?
石橋を叩きすぎて渡る前に壊れてしまうことがあります
Q:わたし実は○○なんです
ボーンコレクター。骨を集めています。
Q:マイブーム
金継ぎ。妻の花瓶を粗相で割ってしまって…。
Q:好きな漫画
・『山鬼ごんごろ』日野日出志
鬼が人間に恋をする話。
・『無能の人』つげ義春
危険な匂いがする話。こんな人になりたくはないけど、でも昔はヘンな人っていっぱいいたよね。
・『魔怪わらべ恐怖の家』森 由岐子
ホラーと想いきやSF。ぜひ読んでください。お貸しします。
Q:好きな匂いを一つ二つあげて下さい。
油絵具(特にテレピン)
薫製の燻煙(特にヒッコリー)
Q:もしできたら「やさしさ」を定義してみて下さい。
高校時代の国語の先生が「やさしさは同情ではなく理解することだ」と言ったのを思い出します。
本当のやさしさは「見返りを期待することなく、相手を思いやること」ではないでしょうか

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